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サリー

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150101 8日目 デリー


インドの民族衣装「サリー」をお姉ちゃんから借りて、着付けてもらった。わたしは赤ピンク、お姉ちゃんは水色のサリー。ひだをつくって、押さえて、しめて、たった一枚の大きな布が衣類に化ける様をみて、これは風呂敷マジックだなと思った。大股で歩けないサリーは新年にふさわしく、わたしの気を引き締めた。(のも束の間、歩きづらくてちょっとだけズボンが恋しくなってたのは内緒)
デリーの若者はトレーナーにジーンズといったカジュアルな格好で、わたしたちが鮮やかなサリーをまとっている図は妙だけど、布一枚を介して共通項を持ちたかった。彼らの一味にはなれないのは重々承知だけど、同化するように、馴染むように、インドの首都を歩く。駅では見知らぬ女性が乱れたサリーを直してくれた。

お姉ちゃんはpuに連れられて新しいサリーを買いにいったので、わたしはノビと散歩した。
ここは高級住宅地のようで、建物が上に上に伸びている。家の塀の張り紙をみて、ノビが愉快な顔をしていたのでなんて書いてあるか訊くと、「駐車禁止、違法駐車の場合は車のタイヤ4つ全部に穴をあける」と。無人のサイクルリキシャー(自転車タクシー)をみつけては、さっきの家の前に運んでおこうかといたずらっ子顔でニヤついた。

公園では、小学生くらいの子ども達がクリケットをしていた。彼らに混ざりたかったけど、サリーを着ているからだめでしょとノビに止められた。しょうがないからしばらく眺めていた。バットと同じくらいの背丈の小さな子が打席に立つ。空振りをした子に、酔っ払ってるのかとガヤが飛ぶ。また投げて、打って、走る。
別のグループの子達がサッカーボールを持って遊びにきたので、パスをもらいにいった。サリーを着ているから足を蹴り上げられなかったけど、それでもボールを行き交わせるだけでたのしかった。蹴って、止めて、蹴り返して、何往復かしたところでハイハイハイもういいでしょとノビに止められた。フィルミネンゲ、またね。

こうして公園をあとにして、採寸を終えたお姉ちゃんとpuと合流した。ノビのお母さんがつくってくれたゴマのお菓子を食べながら歩いた道を割と覚えている。たくさんのゴマが歯にはさまって、お歯黒みたいになって恥ずかしかったのも覚えている。

案外覚えていることに安心する。写真に撮ったり、文字におこしたり、なにか媒体に記録しておかないとどんどん薄れて磨り減ってやがて消えてしまうんじゃないかと、インドで今を生きていて不安がっていた。淘汰とも少しちがう。あんなにビックリしたことも、嬉しかったことも、こう、心が最大限に揺さぶられたことごとらも、この頭はとどめておけやしないのかと虚しくも思った。だけど、だけど案外覚えていることに安心した。

大晦日

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141231 7日目 デリー

大晦日だというのに、そんな気がしない。

去年の大晦日は何をしていただろうか。狂ったように民法と戦っていた気もするし、お母さんと夕飯の買い物に向かった気もするし、まったく、記憶は都合よく曖昧に美化される。

一泊800ルピー(1520円)のダブルルームにひとりで悠々と泊まった。転がれる広々ベッドに、温かいシャワー、窓からはひとびとの歌声(と犬の無駄吠え)。貧乏性のわたしは一泊で1500円が飛んでいくことをためらったけど、泊まってみれば金額相応の快適さがあった。

宿ではお兄さんが新年の飾りつけをしていたので、チャイをごちそうになりながら眺めていた。お兄さんもまた、ヒンディーソングを口ずさんでいた。Tum Hi Hoを知っているか訊くと、もちろんだと言って唄ってくれた。わたしも少し小さな声で混ざった。

ノビが宿まで迎えにきてくれた。朝から何も食べていなかったので、屋台でバナナを買った。一房30ルピー(57円)。日本のバナナより少し小さいことを差し引いても安い。バナナの食べ放題。一本食べても、まだ膨らむ皮がたくさんあって、また一本、また一本と、だんだんと中身のない皮が多くなっていった。普段は3本くらい食べるかなと言う彼に、食べすぎでしょとツッコんだけど、結局わたしは4本、彼は5本食べた。

メトロに乗った。ここのメトロ開通には日本が大きく関わっていると彼は教えてくれた。そう言われてみると、路線図や柱など似ているといえば似ているし、気のせいと言われれば気のせいかもしれない。少し調べてみると、三菱が省エネ車両(走ってるときに蓄えたエネルギーをブレーキのときに発電)としてつくったとか、なんとか。非常口のマークはおなじみの緑地の走っているひとで、頭が少し小さかった。看板はロンドンのメトロにとてもよく似ていて、赤丸に白と藍色が映えていた。

おなじところとか、似ているところとか、ちがうところとか、デザインに限ったことじゃないけどそういう自分の引き出しをもっともっと増やしたい。そしたらみるものもちがってみえて、思うところもまた変わってくるのかなと。

メトロから降りて、コンノートプレイスのセントラルパークにいった。大きな公園で家族連れや若者などひとびとがおしゃべりをしていて、大晦日とは思えないゆったりとした時間が流れていた。芝生で寝そべると、サイコーだった。くもり空なのにサイコーだった。雰囲気に酔ってしまいそうだった。この空間がずっとどこまでも引き伸ばされればいいのにと思った。ノビは「観光地とかいかなくていいの」と訊いてきたけど、いいんです。寧ろ本望。小さい男の子と女の子が走り回っていて、お父さんとお母さんが芝生に座りながら見守っているなんとも幸福な日常よ、どうもありがとう。

ノビが退屈そうにしていたので、後ろ髪ひかれながらもまた来ようと思い、去った。そうしてノビの大学にいってビリヤニ(具だくさん味付きチャーハン。スパイスに抵抗のあるひとでも受け入れられそうな味付けでおいしい。)とマサラドーサ(薄いクレープの皮にカレー風味のじゃがいもをくるんだもの。ココナッツとかチリソースとかソースが別についてくるものもある。おいしい。)とヨーグルトをたべた。ヨーグルトは生クリーム仕立てまちがいないわと確信するくらい絶品で、今後みつけたら絶対また食べようと空容器を写真におさめるほどだった。

ゴツゴツした岩のたくさんある、秘密基地のようなところに連れていってもらった。入るときに警備員さんのチェックを受けたので随分とちゃんとしたところだなと構えた。なんでも、酔っ払った大学生が岩山から転落する事故があって、お酒の持ち込みが禁止されたんだとか。大学生だなあと思った。

だんだんと日が暗くなっていって、はるか上を通る飛行機を何機も見送った。飛行機の数え方がなんで「機」なのか訊かれたけど、機械だからだよと説明になっていない説明しかできなかった。彼と話していると、普段意識しないところに目を向けさせてもらえる反面、自国を知らなすぎる自分を思い知る。もっと関心をもとう。

それからPuと合流して空港に向かった。仕事を終えて日本からやってくるお姉ちゃんを迎えるためだ。Puはなんとまあ綺麗にピンクで飾りつけられた花束を持っていた。それをみてノビは焦ったのか「何か買ったほうがいいかな」と訊いてきたので、チョコレートを勧めた。チョコレート一枚でも自分のために買ってくれたというだけでうれしいもんだよと言ったけど、彼に伝わってないことは表情でわかった。

どうやら空港に向かうタクシーの中で新年を迎えたようだった。タクシーから降りると、花火なのか爆発音が何発も響いて、彼らと道路でHAPPY NEW YEAAAAAAAAARと言い合った。変なかんじだ。空港から出てくるお姉ちゃんをみたらもっと変なかんじがした。「次会うときはインドだね」と言って埼玉でさよならして、それから一ヶ月。本当にインドで会うことになるとは、なんとも、うそっぽい。うそっぽいというか宙ぶらりんで地に足ついてないまま感。

 

そんなこんなで、今夜はダブルベッドにふたりで眠った。

惰性

 日本に戻ってからの違和感もだんだんと薄れていって、やがて日常に埋もれていく。特殊な日本にまた溶け込んでいく。感覚の風化が怖い。慣れが怖い。

いつだってどこだって目の前の状況をたのしむ意識でやってきた。たのしいかどうかは自分次第でどうにでもなると思いながらここまで生きてきた。何もなくてもワクワクを創り出すクリエイティブ職人はわたしの軸である。

だから、最近辛い。どうも気持ちがのらなくて、静かな部屋にぽつんとひとりでいると現実を突きつけられている思いがした。不平不満をいったところで何も生まれないのはわかっているから、いつもなら上を向いてあがっていくんだけど。なんだか今回はうまいこといかない。

にこにこキャッキャしていたときもあったんだろうけど、哀しいことに埋もれてしまっている。

どうありたいかは明確なのだから、とことんじっくり向き合うつもりである。

自分と対峙。

 

包容

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141230 6日目 ハリドワール

おじいちゃんはゆっくりと単語を選んでから、なまりの強い英語で「you 」「famaily」、そうして両手でわたしの両頬を撫でた。(もっといろいろなことを言ってくれたんだけど聞き取れなくて、かといってここで聞き返すのも興ざめだなあと思ってそっとしまいこんだ)

日本人として、わたし個人としては、家族からも友達からも恋人からも誰からも受けたことのない、まっすぐでおおきな愛情表現は、少しくすぐったくて恥ずかしかった。たぶん、日本人的感覚での、言わなくても伝わるだろうと口を噤む言葉達を惜しみなくだして、包み込む。これが彼らの表現方法であり、これがいいとか悪いとかそんなナンセンスなことを言うつもりはないけど、だけど、すこしだけ羨ましい。

されたことのないことをひとにするのは難しい。だけど、されたことならひとにも同じようにすればいい。いいな、嬉しいな、ありがたいな、を真似してやってみる。内から外へ出して循環させる。あえてひとからしてもらうという選択も、結果としてまわりまわって誰かに届くならありだと思うようになった。「ひとを頼る」「ひとにしてもらう」ことのハードルが低くなったら、もうすこし生きやすくなるだろうね。

息苦しくなったらHaridwarに行こうと思う。わたしがいろんなところに行きたがる理由のひとつに、駆け込み寺をさがしていることが挙げられる。あのひとに会いたい、あれを食べたい、あれが見たい、こうした自分の欲の元を各地に置いてきて、だめになりそうなときに駆け込めるところをつくる。今いる環境がすべてじゃない。からださえあれば大丈夫なように身軽でありたい。


こうして、haridwarを後にした。
朝6時の電車だったので、5時半に家を出るつもりで準備をしていた。ところがベッドにくくりつけたリュックの鍵が外れない。たしかに設定した3桁の暗証番号を入力しても外れない。昨夜だって同じ番号で解除したはずなのに、一晩でなにが起きたのかわからないけど、000からひとつずつカチカチカチと動かしていく地道作業がはじまった。

3日前、delhi駅にharidwar行の電車が時間通りにきて、1分たりと遅れずにちゃんと出発したこともあって、インドの電車はわからない。6時発のリミットがわたしを急がせる。

001、002、003…100になったとき5分が経っていて、999まで急ぎペースでいけば間に合うと冷静に逆算する自分がいた。だけどいっこうに外れなくて、いっそこのままくくりつけて「また帰ってくるよ」なんて去ってしまおうかと、なげやりにもなってくる。ひたすらの作業。なにをしているんだ、わたしは。と思っているとカチッ!外れた。300番台だった。間に合った。最後のチャイを味わいたいところだけどクイッと飲んで、わざわざ見送ってくれたおじいちゃんおばあちゃんと名残惜しむ間もなくサラリとまたねをした。

駅に着くと、3時間半遅れの掲示があった。
やっぱりここはインドだった。
おじいちゃんからもらったりんごを皮ごとかじりながら、駅のホームで猿達を眺めていた。
待ち時間もここでの滞在を整理するにはちょうどよかった。

結局電車は5時間15分遅れでやってきた。歓声をあげるひとびとをみると、これは珍しいことらしい。

6時間の寝台列車の旅がはじまる。近くの席の家族がカシューナッツをわけてくれたり、携帯を充電させてくれたり、よくしてくれた。女の子たちが列車の特等席に連れて行ってくれた。車両のはじっこの、開かれた扉からは外の空気が入ってきて、過ぎ去る景色をならんで眺めた。

知らない街を歩くとき、ひとりでいるとき、インドに同化するように「Tum Hi Ho」を口ずさんでいた。決して彼らの一味になれはしないけど、どこかでつながっているような錯覚をおこさせてくれる。女の子達と車内のトイレ前でTum Hi Hoを唄っていると、自分がどこにいるかわからなくなった。