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come

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141229 5日目 ハリドワール

今日もまた冷水シャワーとぽっかレモンではじまる。

ポッカレモンが冷めてようやくちびちびと飲めるようになった頃、praveshが朝食を持ってきてくれた。根菜カレーだ。彼は毎食違う具材でいろんなカレーをつくってくれる。バラエテイ豊かな毎食がたのしみだった。ひよこ豆、チーズ、ほうれんそう。ダール、パニール、パラック。おかげで材料名のヒンディー語は覚えられた。ここのカレーはしっかりとした濃さに、とがったスパイスの強みもなくて好きだった。日本のカレーより好きになった。今もこうして書きながら恋しくなっている。無性に欲する。

ごちそうさまをすると、おじいちゃんがりんごを剥いてくれた。ひとり台所に立って果物をむく係のうちのじいちゃんと重なってみえた。「うちのじいちゃんとばあちゃん、りんごをつくってるんだ」とおじいちゃんに話すと、そうかそうかとニコニコして聞いてくれた。透き通った蜜の見える、すこしみそっぽくなったりんごだった。甘くない生の果物が苦手であまり好んで食べないわたしだけど、久しぶりの果汁は美味しく感じた。

 

今日は、いけるところまでいってみようと思った。
家の前の道路をまっすぐどこまでも進んで、どこかで折り返して、ただいまコース。

ドキドキした。用事のないharidwar駅はたぶんまっすぐ進めば着くのだけど、道行くひとに「ハリドワール ステーション ジャーナーハェ。カハーンハェ?」(haridwar駅に行きたい どこにある?) と確認で話しかけていった。みんな教えてくれる。言葉が通じる。たのしい。

駅を過ぎてさらに進み、細道と枝分かれしていたので大通りにさよならして鋭角に曲がると、ずいぶんと生活感が溢れる通りになった。歩きはじめて2時間くらいだろうか、木陰で水を飲んで休憩した。正面の家では木を切っていて、制服を着た学生達が下校していて、牛の大群が通っていて。

屋根では子どもたちが遊んでいた。真っ平らな高所でかけまわったり、たこあげをしたりしていた。足をほっぽり出して黄昏ている少女がすごく羨ましくてしばらく見ていると、視線に気付いたらしく、少し恥ずかしそうに手を振ってきた。興味をもっているけど近くまでは寄れない、遠巻きではにかむ顔はわたしと同じだった。(わたしの実家は田舎だから自分の生活空間に外国人がいることはまずなく、たまに、たまに見つけたときにはもう、わあわあわあと心が躍った。でも、相手にアプローチする術もなく、ただ浮かれて過ぎていたものだった。)

手を振られて、振り返して、また少しして手を振られて、振り返して、と道路と高さを挟んで何度か動作のみのキャッチボールをすると、彼女たちは屋根から降りてきた。話すにはまだ遠いけど、相手の存在はしっかりと認識できるといった、一定の距離まで近寄ってきた。わたしはヒンディー語の本を開いて、ワハーンコ ジャーサクティーフーン(あそこにいってもいいか)と呪文のようにぶつぶつ繰り返し唱えた。どうしても屋根にのぼりたかった。ドキドキしたけど意を決して彼女たちの元に寄って呪文を唱えると、「come!」といって家の階段へ通してくれた。人ひとりがやっと通れるくらいの細い階段は、秘密の抜け道のようでさらにドキドキした。

そこは。家をまたいで平らな屋根が連なっていて、高さを介してもうひとつ、そこには陸地がひろがっていた。さっきまでいた通りがミニチュア写真のように見える。歩いてきた道がどこまでも見える。山も人も牛も見える見える見える。ほんの少し空に近づいただけで見える景色がまるでちがって、そりゃあバカも煙も高いところにのぼりたがるわと納得した。ちょっとちがうか。

洗濯物を干していた女性にあいさつをして、子どもたちと日当たりの良いコンクリートに座った。14歳、15歳、友達、姉妹、学校終わり、などなどざっくばらんに話して、彼女達のことを少しだけ知った。結婚してるの?と訊かれて、なんだかおかしかった。わたしは学生だよの意味を込めて彼女にも訊き返した。ふと、そうか、わたしの年は結婚していても何らおかしくはないんだと気付かされる。まだ歳相応の心になっていないだけであって。

14歳の顔をした青年が「チャイはいるか」と訊くので、お言葉に甘えた。彼は財布から紙幣を出して、小さな女の子に渡し、少しするとちゃんとした白いマグカップに淹れられて届いた。そういうことかと、彼のホスピタリティ精神に触れて、また嬉しくなった。こういったひとびとによってわたしのharidwarが形成されていって、ますます好きになる。ふんわりとコーヒーの風味にミルクが合わさって、シナモンやしょうがのまざったものとはまた違う、ここのチャイも好きになる。

 

満足だった。
彼らにさよならをして、往路を帰路にした。

橙灯

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141228 4日目 ハリドワール

冷水を あつめて流し 我が母体
 
髪を濡らすために1回、泡を流すために1回、シャンプー分で2回も冷水を浴びたからもういいやと思った。コンディショナーで髪のコンディションを整えるのを断念させちゃうほどつらい冷水と、キシキシ髪の毛で、ここの朝ははじまる。(夜のお風呂で1日の疲れを癒したいひとだけど、夜に入ったらとてもじゃないけど寒さで眠れなくなるから、仕方なく朝になる。)
 
お湯が出なくて、出ないよって伝えて、直ったよって言われて、まだ出なくて、このいたちごっこは前も今回もインドおなじみで、愛おしさすら感じるわけもなくただただ寒い。毛穴という毛穴がフル稼働して、外界と線をひきたくて、タオル、服、布、なんでもいいから包まれたかった。部屋は夏仕様だから暖房もなくて、ガクガクしながら髪の水をタオルでとっていると、praveshがぽかぽかレモン水を持ってきてくれた。最高か。極楽か。お風呂上がりのコーヒー牛乳(瓶)自販機のような登場の彼を拝む。グラスにぺたりと手を貼りつけ、だましだましで暖をとる。あつっ、あつっ、あつっ。
 
praveshにドライヤーはあるか訊くと、「外に出ればそのうち乾くよ」と冗談なのか本気なのかわからない答えが返ってきた。たしかにHaridwarの日中はあたたかくて、ヒートテックとYシャツで快適だった。
 
豆カレーをたべて、praveshと山登りにいった。山に入る手前に、パン食い競争のパンみたいに大きな鈴が吊り下がってて、ジャンプして鳴らして、着地したら右の靴が壊れた。靴の底のデコボコが根こそぎ持ってかれて、大きな穴ができた。というか、ほぼ靴下だった。
 
最初は下を見て選びながら歩いていたけど、だんだんどんどんるんるん山を登っている自分にたのしくなっていった。特に灰色の砂を好んで歩いた。舗装もなにもされていない手付かずの地と、布一枚隔てて触れて、押し返されて、ああもうサイコーサイコーサイコー。小さい頃、砂利道を裸足で痛い痛いと歩いたあの感触を思い出せて嬉しかったのもある。右足と左足の違う感触をひとりで同時にかみしめて、長い長い一本道をひたすら一時間くらいかけて登った。
 
頂上についてからは、praveshの真似事をしてお参りをして、おでこにオレンジの模様を描いてもらって、手首に赤い糸を二重にも三重にも巻いてもらって、何も知らない異国人らしさに辟易しながらニコニコまわった。帰り道はインド産の真っ赤なスカーフをリュックにしまいこんで、足早に山を下った。
 
カレー屋さんでおじいちゃんにゴールガッペーをたくさん食べさせてもらった。ゴールガッペーとは、片手サイズの空洞せんべいに液体カレーをいれた、クイっと飲むたべもので、カレーは飲み物なんだなと思わさせられた。クイっと飲むと、ホイっと新しいゴールガッペーを渡されて、わんこそばみたいに食べた。それからおじいちゃんにお菓子屋さんのショーウィンドウに連れられて、好きなもの何でもいいよ、と言われてどこかの姫様にでもなったような錯覚と恐縮さの中で、蛍光黄色の小さなものを選んだ。その場でいただいたらとびっきり甘かった。
 
真っ暗な夜に幻想的なオレンジライトのもと、ガンジス川で沐浴をするひとびとをみながら、わたしはヨソモノらしくカメラを向けるのかと思ったら、途端にすべてが嫌になってしばらくカメラを放置した。こうしたところでどうにもならないけど、これは何でもかんでも切り取って残さないと気が済まなくなってしまったわたしへのささやかな抵抗で、気の赴くままにレンズをのぞけばいいと思うようにした。
 
praveshとふたりで休憩しているときに、見知らぬ老人がヒンディー語でまくしたててきた。何を言っているかさっぱりわからなかったけど、老人がつっかかってきて良くない雰囲気は感じ取れた。英語があまりわからないpraveshに、kyaa huaa?(どうしたの)と訊くとkooi baat nahiin(なんでもない)としか言わなくて、結局わたしのヒンディー語ではどうしようもなかった。あとからヒンディー語と英語のわかるお母さんに話をきいてもらうと、老人は若い男女が一緒にいることに対して言ってきていたのだという。みんながみんな批判的なわけじゃないけど、年を召したひとや田舎の方だとこういう考えもあると話してくれた。数分おきにメトロが走ってる首都デリーも、お見合い結婚が主流な地方も、トイレのない田舎も、インドは大きく広い。
 
歩いていると、異国人のわたしに「ハイ、マダーム、これいるか、これはどうだ」と物売りのひとびとが声をかけてきて、そのたびにpraveshはヒンディー語であしらってくれた。物売り達は後ろから言葉を投げてきて、わたしは理解できないから何を言われても平気だけど、praveshを察したらごめんなさいと思った。明日からはひとりででかけようと思った。
 
どこに着地するかわからなくなったけど、夜のガンジス川は、千と千尋の神隠しの船がやってくるワンシーンみたいでずっと眺めていたいくらいよかった。嘘。たとえられない。それ以上でもそれ以下でもなく、とにかくよかった。

 

居間

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141227 3日目 ハリドワール

彼らにいくらだったかきくと、きまって無料だったよと言う。午前4時半に飲んだチャイも、わたしがお土産にほしいといったヒンディー語の新聞も、まったく、優しいウソつきだ。

片道700ルピー(1330円)の電車に6時間ほど揺られ、Haridwarに向かう。Haridwarはグーグルアースでながめていて、なんとなくいいなあと思って目的地に加えられた、イメージも何もない真っ白な地、だからこれから自分のできごとで色付けられる感が最高にワクワクした。ぼんやりとした輪郭すらない。情報は最低限でいい。変に傲慢に知ったつもりになっちゃうし、伝聞情報の確認スタンプラリーでは惜しい。

席のお隣さんは15歳の女の子だった。わたしの英字新聞を指して、読んでもいいかと訊くので、いいよと手渡すと、少女は途端にオトナの横顔で眺めはじめた。少したってから、インドではあなたくらいの子も新聞を読むのかと訊くと、(今思えば、なんとも野暮なことを訊いたな)学校に行ってる子は毎日読んでいるという。それも、英語版ヒンディー語版、ふたつ。自発的に世の中に興味をもって、母語でも英語でも理解できるレベルの若者達がいるこの国は、上向きな気がした。彼女の綺麗な英語で、学校に行ってる子って表現もまたこの国を表してるね。

彼女の持ってたチーズ味のポテチを一緒に食べた。彼女は突然歌い出した。わたしの歌を聴いてくれといわんばかりの声量で歌い上げた。なんか、すごい。これぞ、異文化。

Haridwarでは、airbnbを使ってご家庭にお邪魔させてもらった。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お手伝いさん(pravesh)がわたしを迎えてくれた。airbnb とは、「暮らすように旅をしよう」をコンセプトに、自分の家の空き部屋を貸したいひと(ホスト) と宿泊地をさがす旅人(ゲスト)をつなぐウェブサービス。個人的なイメージは、couchsurfingの有料版で、気軽にできるホームステイみたいなかんじかな。

着くやいなや、わたしの大好きなチャイ(インドの紅茶)を綺麗なカップに入れて持ってきてくれた。パイとスナックも添えられて、あたたかなもてなしにいいご家庭にきてしまったなと心からニヤついた。そしてピザを注文してくれた。まるまる一枚、100ルピー(190円)。うまい、やすい、おおい。

こうして膨れたお腹で、はじめてバイクに乗った。HONDAの後部席に乗って、praveshとHaridwarを駆け巡った。前を歩いていたひとびとが後ろへ過ぎ去っていく。目の高さでどんどん景色が移り流れていって、徒歩とも車とも違う直風の感覚が新鮮だった。いきものがかりで「風がふいている」、どうぞお聴きください。

この国はクラクションの使い方がおかしい。製造者もおどろきの連打。プップーなんてもんじゃなく、ブーブーブーブブブブーどけどけどけ俺様のお出ましだぞ、とタクシーもバイクも乗用車もみんなみんな主張するもんだから騒々しいことといったらもう。アメ横のようなひとびとでごった返した商店街も、対向バイクをかわして、ひとの間を縫うように、スピードを落とすことなく進む。「前前前ひとひとひとぶつかるよ!」って肩をたたきそうになる直前にやっと急ブレーキをかけて、また急加速する。バイクの後部席に乗り慣れた曲のひとつやふたつ書く前に死ぬわと思った。彼が特殊なのかわからないけど反射神経が頗るよいおかげで、わたしは生きてる。よかった。

帰宅。居間には小さなブラウン管テレビがひとつあって、ずっと歌番組が流れていた。歌に合わせて、というより、主役はわたしよと負けじとおばあちゃんが歌って、お母さんもまざって、praveshもまざる。すると、数少ないわたしの知ってるヒンディーソング「Chahun Main Ya Naa」が流れて、わたしも一緒になって歌った。愉快だった。

飾られた観光地より、商業化された駅前より、この等身大の生活にわたしは惹かれる。人間臭さの日常を覗かせてもらえるだけでなく、家庭料理を一緒に食べたりしゃべったり歌ったりと日常に混ぜてもらえることが本当に嬉しい。嬉しかった。こっちにおいでと呼んでくれたり、これ食べろとお菓子を持ってきてくれたり、ひとりの異国人をまるで本当の家族のように暖かく受け入れてくれて、前々からいたかのような居心地のよさは不思議でおかしかった。

直感で選ばれたHaridwarに拍手、過去のわたしに感謝。

 

 

 

前菜

141226 2日目 コロンボスリランカ

朝食はバイキングだった。
スリランカ料理の味がまだわかってないから、「おいしかったらあとでちゃんと取りにいけばいい」戦法でほんの一口ずつお皿に品々を乗せていると、コックがやってきて「これはどうだ、うまいぞ」と次々に乗せる、乗せる。あっという間に大皿が埋まってゆく。
おかず皿の他にサラダ皿にパン皿、カレー皿まで出来てしまった。
朝食とは思えない豪華ラインナップに拍手。
ドレッシングソースはフルコースで。ソースをすこーしすくって、絵の具パレットのようにちょんちょんちょんと配置する。マヨネーズはキューピーより酸っぱかった。

生野菜が食べられる。
お水が飲める。
明日からこうはいかないから、思う存分コーンとグリーンピースの彩りをたのしんだ。

斉藤和義の幸福な朝食退屈な昼食を口ずさみながら、65分の長い朝食は終わった。

今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道がいつか懐かしくなるだろう

親切にもホテルから空港まで送迎してくれるというのでお世話になると、そこに中老と若者の男性二人組がいた。若者は、その雰囲気といい身なりといい、たけださんにすごく似ていて、これが世界に3人いるそっくりさんかと妙に納得した。
中老にチャイニーズかと聞かれ、ジャパニーズだと声をはって応え、どこ出身かたずねると、あててみろという。この切り返し、合コンみたいでありがちだなと思っていると、たけださんも同じような若者顔をしていた。
彼らはパキスタン出身で香港に住んでいるという。同席していて気まずくならない程度の、簡単な自己紹介と当たり障りのない質問をすると、中老が「お前達はもう友達だ、連絡先を交換しなさいガッハッハ」と笑って葉っぱをかけてきた。ほら、さあ、とひとり陽気そうな彼を横目にたけださんを見ると、苦笑いのような、また若者顔をしていた。

なんだかんだでコロンボ空港に着くと、彼らは私の面倒をみてくれた。ゲートはどこだ、ここでチェックインだ、荷物を預けないなら直接向かえ、と、とても強い仲間がみつかった心持ちだった。空港から出るときとは比べものにならないくらいすんなりと手続きがすんだ。
彼らにありがとうとさよならをして、これが一期一会かあと物思いにふけっていると、聴き覚えのあるイントロが流れてきて、ピアノマン上を向いて歩こうを弾き始めた。

感傷的になってしまう。
偶然を愛したい。

三時間半の飛行で、いよいよ、インド到着。インディラガンジー国際空港の右手達も、ものものが混ざり合った独特な匂いも、好奇心の眼々も、1年4ヶ月ぶりのわたしにおかえりをくれる。ほんとうに帰ってきたんだ。

午後6時過ぎ、あとは宿に向かうだけである。すべてが順調、好調な滑り出しに拍手喝采の中、出口に向かうと、ノビ が待っていた。彼はインドでの大学交流会で出会った、ドラえもんが好きな子で、ずいぶんと日本語がうまくなっていた。「アンナの英語はヘタになったね」と軽口を叩けちゃうくらい、うまくなっていた。
片側三車線の道路を宿に向かってと歩くのはなかなか愉快だったけど、果てしないから空港まで戻った。破格な値段で勧誘してくるタクシーの運ちゃん達をヒンディー語であしらって、警察にタクシー用紙をもらって、黄門様みたいに運ちゃんに突き出して、いざ。
でも、いつまで経っても着きそうにない。どうやら運ちゃんは宿の場所を知らないようだった。
冷淡に、淡白に、抑揚なく話すノビからは苛立ちがみえて、もう、わたしが悪いので空港で眠ります、ごめんなさいと言ってしまいたかった。もちろん、こんなノビを前にしてそんなことは言えるはずもないのだけど。
運ちゃんも道行くひとに尋ねたり、電話を借りたりして、ようやく宿に着いた頃には空港を出て2時間以上が経っていた。

「どうしてこんな(交通の便が悪い)宿をとったの」「なんで予約する前に相談しなかったの」「ノビだから頼りにならないと思ったの」彼にたくさんの労力を使わせてしまった申し訳なさと、自分の考えの甘さと、無事に辿り着いた安堵と、保っていたストッパーがはずれてぐちゃぐちゃな顔のわたしは、「それ、やめてくれる」と言う彼の顔も直視できないほどであった。