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居間

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141227 3日目 ハリドワール

彼らにいくらだったかきくと、きまって無料だったよと言う。午前4時半に飲んだチャイも、わたしがお土産にほしいといったヒンディー語の新聞も、まったく、優しいウソつきだ。

片道700ルピー(1330円)の電車に6時間ほど揺られ、Haridwarに向かう。Haridwarはグーグルアースでながめていて、なんとなくいいなあと思って目的地に加えられた、イメージも何もない真っ白な地、だからこれから自分のできごとで色付けられる感が最高にワクワクした。ぼんやりとした輪郭すらない。情報は最低限でいい。変に傲慢に知ったつもりになっちゃうし、伝聞情報の確認スタンプラリーでは惜しい。

席のお隣さんは15歳の女の子だった。わたしの英字新聞を指して、読んでもいいかと訊くので、いいよと手渡すと、少女は途端にオトナの横顔で眺めはじめた。少したってから、インドではあなたくらいの子も新聞を読むのかと訊くと、(今思えば、なんとも野暮なことを訊いたな)学校に行ってる子は毎日読んでいるという。それも、英語版ヒンディー語版、ふたつ。自発的に世の中に興味をもって、母語でも英語でも理解できるレベルの若者達がいるこの国は、上向きな気がした。彼女の綺麗な英語で、学校に行ってる子って表現もまたこの国を表してるね。

彼女の持ってたチーズ味のポテチを一緒に食べた。彼女は突然歌い出した。わたしの歌を聴いてくれといわんばかりの声量で歌い上げた。なんか、すごい。これぞ、異文化。

Haridwarでは、airbnbを使ってご家庭にお邪魔させてもらった。おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お手伝いさん(pravesh)がわたしを迎えてくれた。airbnb とは、「暮らすように旅をしよう」をコンセプトに、自分の家の空き部屋を貸したいひと(ホスト) と宿泊地をさがす旅人(ゲスト)をつなぐウェブサービス。個人的なイメージは、couchsurfingの有料版で、気軽にできるホームステイみたいなかんじかな。

着くやいなや、わたしの大好きなチャイ(インドの紅茶)を綺麗なカップに入れて持ってきてくれた。パイとスナックも添えられて、あたたかなもてなしにいいご家庭にきてしまったなと心からニヤついた。そしてピザを注文してくれた。まるまる一枚、100ルピー(190円)。うまい、やすい、おおい。

こうして膨れたお腹で、はじめてバイクに乗った。HONDAの後部席に乗って、praveshとHaridwarを駆け巡った。前を歩いていたひとびとが後ろへ過ぎ去っていく。目の高さでどんどん景色が移り流れていって、徒歩とも車とも違う直風の感覚が新鮮だった。いきものがかりで「風がふいている」、どうぞお聴きください。

この国はクラクションの使い方がおかしい。製造者もおどろきの連打。プップーなんてもんじゃなく、ブーブーブーブブブブーどけどけどけ俺様のお出ましだぞ、とタクシーもバイクも乗用車もみんなみんな主張するもんだから騒々しいことといったらもう。アメ横のようなひとびとでごった返した商店街も、対向バイクをかわして、ひとの間を縫うように、スピードを落とすことなく進む。「前前前ひとひとひとぶつかるよ!」って肩をたたきそうになる直前にやっと急ブレーキをかけて、また急加速する。バイクの後部席に乗り慣れた曲のひとつやふたつ書く前に死ぬわと思った。彼が特殊なのかわからないけど反射神経が頗るよいおかげで、わたしは生きてる。よかった。

帰宅。居間には小さなブラウン管テレビがひとつあって、ずっと歌番組が流れていた。歌に合わせて、というより、主役はわたしよと負けじとおばあちゃんが歌って、お母さんもまざって、praveshもまざる。すると、数少ないわたしの知ってるヒンディーソング「Chahun Main Ya Naa」が流れて、わたしも一緒になって歌った。愉快だった。

飾られた観光地より、商業化された駅前より、この等身大の生活にわたしは惹かれる。人間臭さの日常を覗かせてもらえるだけでなく、家庭料理を一緒に食べたりしゃべったり歌ったりと日常に混ぜてもらえることが本当に嬉しい。嬉しかった。こっちにおいでと呼んでくれたり、これ食べろとお菓子を持ってきてくれたり、ひとりの異国人をまるで本当の家族のように暖かく受け入れてくれて、前々からいたかのような居心地のよさは不思議でおかしかった。

直感で選ばれたHaridwarに拍手、過去のわたしに感謝。