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裸足の季節

裸足の季節」(MUSTANG)を観た。
舞台はトルコ・イスタンブールから1000kmほど離れた田舎の村。
5人の姉妹が長い髪を広げて床に寝っ転がって、爪先のデザートですって遊んでるところとか、ご飯のときに大人にバレないように子ども達だけで目配せしてくすくす笑うところとか、姉妹っていいなと思った。騒がしいのは苦手なのに、盲目的に、4人くらい子どもがいたらいいなとさえ思った。貨幣経済に負けず、貧乏だけど人さえいればたのしいみたいな、田舎特有の大家族。合理的でない矛盾。

 

お見合いの席で、息子に代わって求婚しますってお父さんが言うところの重さよ。お互いが知らぬままによく見せたい、見られたいみたいな気の遣ったはじまりから、背伸びをどのモチベーションで続けて生きていくのかよくわからない。ずっと一緒にいる人を自分が選べないのも恐ろしい。こんなの、彼女を信じていないしちゃんと扱ってないのに、まだ未熟で判断ができないから代わりに親が決めるなんて、そしてそれが一番と考えてるなんて、傲慢というかなんというか。

 

おばさんは彼女達におとなしい色の服を着させたり、人前に立たせる前に髪の毛のチェックをしたり、見た目や体裁を気にしすぎていて、それは彼女達への愛からくるものなのかよくわからなかった。花嫁道具を準備するところから根底には愛みたいなものはあるんだろうなと思ったけど、ちょっと歪んでいる。彼女達を自分の持ち物かのように扱っていて、こんな自慢の孫がいる「わたし」にフォーカスしちゃってる人みたいに映った。

 

コーヒーなんて自分で淹れさせればいいじゃん、とカップに唾を吐き入れるラーレ。社会や大人といった大きな敵を前にして、子どもじみた方法でしか反発できない非力な彼女、わたしかよ。あと20年経っても世の中とか常識に揉まれて丸くならないで、おかしいことにはおかしいと抵抗する人でいたい。

 

最後、イスタンブールで先生がかわいいラーレと言って抱きしめてくれたことが救いだった。青いペンで書かれた住所、駆け込み寺。味方の大人がひとりでもいたらいい。

 

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久しぶりに映画館でなんとなく観た映画だったけど、よかった。普段使わないところの脳みそがぐるぐる混ぜられた。慣習とかしきたりとか大人とか社会とか息苦しいね。

 

誰だったか偉い人が、ムチや足枷とかで一箇所に拘束されていないだけで、今現在も人々は組織的に奴隷化されていると言っていた。やりたくない仕事を40年間毎日続けることよりも、仕事を失う恐怖を植え付けられているわたしは結局貨幣経済から抜け出せないんだよね。