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挿入歌

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150103 10日目 バラナシ

映画を観にいった。
haridwarのおじいちゃんや学生達、車内の女の子達、複数人にオススメの映画を訊いたところ、みんな口をそろえて「PK」と言っていた。主人公はアーミルカーン。彼をインドの映画館で観れるとあってすごくワクワクした。

映画館は思いの外、小綺麗なつくりで驚いた。(トイレを除く。)カウンター越しの売店も日本と同じ図で、スクリーンは十分なほど大きくて、椅子はひじかけ付きでフカフカしている。まわりをざっと見てもかなりの数の席がある。これで128ルピー(244円)。

映画がはじまるとカメラワークが気になっちゃって、ツッコミどころ満載だった。こうも制作側に意識がいく映像もなかなかない。なんとなく今まで観ていた映画らによって、自分仕様なるものができていたんだなって思わせられた。ポンと守備範囲外のものが放られると、内で形成されていたものに気付かされる。「こういうもんだ」っていう無意識の思い込みにハッとさせられる。

英語字幕なしヒンディー語のみでも徐々に中の世界に引っ張られていった。それはアーミルカーンの役の愉快さが全面に押し出されていたり、踊ったり、唄ったり、ことばを差し引いた伝達手段に長けている作品だったからのように思う。

帰国してから挿入歌をさがして聴いてみると、思い出すわ思い出すわ、あのシーン、そのシーン。彼女が異国にやってきて自転車をこいで、公園でイチャイチャして、ふたりで踊って、唄って。

音(と匂い)は古い記憶をひっぱりだしてくれる。冷凍庫の奥底に眠っていたカチンコチンの肉を発掘したような。当時の空気感も感情もそのまま冷凍保存されていて、ふとしたタイミングで解凍される。あのときの恋心が、もやもやが、息苦しさが、一気によみがえる。そうした引き金を随所にちりばめて、過去と今をタイムワープする。音ってすごいよ。ほんと。(途端に安っぽいな)

上映中のひとびとは、「よくやったな!」と拍手をしたり、ヒューと歯笛をしたりして登場人物達を讃える。自分も傍観者というより参加者で、巻き込み型というかなんというか。わたしの隣に座っている彼は電話に出て、後ろの人々は小声で話していて。こういったひとつひとつで自分の当たり前がおもしろいように覆される感をたのしんで、おおきなひとになれたらいいなと思う。

自分のものさしで測ってしまうきらいがある。価値観を相手に強要しているわたしに気付いたとき、ゾッする。

こっちいったり、あっちいったり、寄り道大魔神の文ができた。