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包容

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141230 6日目 ハリドワール

おじいちゃんはゆっくりと単語を選んでから、なまりの強い英語で「you 」「famaily」、そうして両手でわたしの両頬を撫でた。(もっといろいろなことを言ってくれたんだけど聞き取れなくて、かといってここで聞き返すのも興ざめだなあと思ってそっとしまいこんだ)

日本人として、わたし個人としては、家族からも友達からも恋人からも誰からも受けたことのない、まっすぐでおおきな愛情表現は、少しくすぐったくて恥ずかしかった。たぶん、日本人的感覚での、言わなくても伝わるだろうと口を噤む言葉達を惜しみなくだして、包み込む。これが彼らの表現方法であり、これがいいとか悪いとかそんなナンセンスなことを言うつもりはないけど、だけど、すこしだけ羨ましい。

されたことのないことをひとにするのは難しい。だけど、されたことならひとにも同じようにすればいい。いいな、嬉しいな、ありがたいな、を真似してやってみる。内から外へ出して循環させる。あえてひとからしてもらうという選択も、結果としてまわりまわって誰かに届くならありだと思うようになった。「ひとを頼る」「ひとにしてもらう」ことのハードルが低くなったら、もうすこし生きやすくなるだろうね。

息苦しくなったらHaridwarに行こうと思う。わたしがいろんなところに行きたがる理由のひとつに、駆け込み寺をさがしていることが挙げられる。あのひとに会いたい、あれを食べたい、あれが見たい、こうした自分の欲の元を各地に置いてきて、だめになりそうなときに駆け込めるところをつくる。今いる環境がすべてじゃない。からださえあれば大丈夫なように身軽でありたい。


こうして、haridwarを後にした。
朝6時の電車だったので、5時半に家を出るつもりで準備をしていた。ところがベッドにくくりつけたリュックの鍵が外れない。たしかに設定した3桁の暗証番号を入力しても外れない。昨夜だって同じ番号で解除したはずなのに、一晩でなにが起きたのかわからないけど、000からひとつずつカチカチカチと動かしていく地道作業がはじまった。

3日前、delhi駅にharidwar行の電車が時間通りにきて、1分たりと遅れずにちゃんと出発したこともあって、インドの電車はわからない。6時発のリミットがわたしを急がせる。

001、002、003…100になったとき5分が経っていて、999まで急ぎペースでいけば間に合うと冷静に逆算する自分がいた。だけどいっこうに外れなくて、いっそこのままくくりつけて「また帰ってくるよ」なんて去ってしまおうかと、なげやりにもなってくる。ひたすらの作業。なにをしているんだ、わたしは。と思っているとカチッ!外れた。300番台だった。間に合った。最後のチャイを味わいたいところだけどクイッと飲んで、わざわざ見送ってくれたおじいちゃんおばあちゃんと名残惜しむ間もなくサラリとまたねをした。

駅に着くと、3時間半遅れの掲示があった。
やっぱりここはインドだった。
おじいちゃんからもらったりんごを皮ごとかじりながら、駅のホームで猿達を眺めていた。
待ち時間もここでの滞在を整理するにはちょうどよかった。

結局電車は5時間15分遅れでやってきた。歓声をあげるひとびとをみると、これは珍しいことらしい。

6時間の寝台列車の旅がはじまる。近くの席の家族がカシューナッツをわけてくれたり、携帯を充電させてくれたり、よくしてくれた。女の子たちが列車の特等席に連れて行ってくれた。車両のはじっこの、開かれた扉からは外の空気が入ってきて、過ぎ去る景色をならんで眺めた。

知らない街を歩くとき、ひとりでいるとき、インドに同化するように「Tum Hi Ho」を口ずさんでいた。決して彼らの一味になれはしないけど、どこかでつながっているような錯覚をおこさせてくれる。女の子達と車内のトイレ前でTum Hi Hoを唄っていると、自分がどこにいるかわからなくなった。