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前菜

141226 2日目 コロンボスリランカ

朝食はバイキングだった。
スリランカ料理の味がまだわかってないから、「おいしかったらあとでちゃんと取りにいけばいい」戦法でほんの一口ずつお皿に品々を乗せていると、コックがやってきて「これはどうだ、うまいぞ」と次々に乗せる、乗せる。あっという間に大皿が埋まってゆく。
おかず皿の他にサラダ皿にパン皿、カレー皿まで出来てしまった。
朝食とは思えない豪華ラインナップに拍手。
ドレッシングソースはフルコースで。ソースをすこーしすくって、絵の具パレットのようにちょんちょんちょんと配置する。マヨネーズはキューピーより酸っぱかった。

生野菜が食べられる。
お水が飲める。
明日からこうはいかないから、思う存分コーンとグリーンピースの彩りをたのしんだ。

斉藤和義の幸福な朝食退屈な昼食を口ずさみながら、65分の長い朝食は終わった。

今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道がいつか懐かしくなるだろう

親切にもホテルから空港まで送迎してくれるというのでお世話になると、そこに中老と若者の男性二人組がいた。若者は、その雰囲気といい身なりといい、たけださんにすごく似ていて、これが世界に3人いるそっくりさんかと妙に納得した。
中老にチャイニーズかと聞かれ、ジャパニーズだと声をはって応え、どこ出身かたずねると、あててみろという。この切り返し、合コンみたいでありがちだなと思っていると、たけださんも同じような若者顔をしていた。
彼らはパキスタン出身で香港に住んでいるという。同席していて気まずくならない程度の、簡単な自己紹介と当たり障りのない質問をすると、中老が「お前達はもう友達だ、連絡先を交換しなさいガッハッハ」と笑って葉っぱをかけてきた。ほら、さあ、とひとり陽気そうな彼を横目にたけださんを見ると、苦笑いのような、また若者顔をしていた。

なんだかんだでコロンボ空港に着くと、彼らは私の面倒をみてくれた。ゲートはどこだ、ここでチェックインだ、荷物を預けないなら直接向かえ、と、とても強い仲間がみつかった心持ちだった。空港から出るときとは比べものにならないくらいすんなりと手続きがすんだ。
彼らにありがとうとさよならをして、これが一期一会かあと物思いにふけっていると、聴き覚えのあるイントロが流れてきて、ピアノマン上を向いて歩こうを弾き始めた。

感傷的になってしまう。
偶然を愛したい。

三時間半の飛行で、いよいよ、インド到着。インディラガンジー国際空港の右手達も、ものものが混ざり合った独特な匂いも、好奇心の眼々も、1年4ヶ月ぶりのわたしにおかえりをくれる。ほんとうに帰ってきたんだ。

午後6時過ぎ、あとは宿に向かうだけである。すべてが順調、好調な滑り出しに拍手喝采の中、出口に向かうと、ノビ が待っていた。彼はインドでの大学交流会で出会った、ドラえもんが好きな子で、ずいぶんと日本語がうまくなっていた。「アンナの英語はヘタになったね」と軽口を叩けちゃうくらい、うまくなっていた。
片側三車線の道路を宿に向かってと歩くのはなかなか愉快だったけど、果てしないから空港まで戻った。破格な値段で勧誘してくるタクシーの運ちゃん達をヒンディー語であしらって、警察にタクシー用紙をもらって、黄門様みたいに運ちゃんに突き出して、いざ。
でも、いつまで経っても着きそうにない。どうやら運ちゃんは宿の場所を知らないようだった。
冷淡に、淡白に、抑揚なく話すノビからは苛立ちがみえて、もう、わたしが悪いので空港で眠ります、ごめんなさいと言ってしまいたかった。もちろん、こんなノビを前にしてそんなことは言えるはずもないのだけど。
運ちゃんも道行くひとに尋ねたり、電話を借りたりして、ようやく宿に着いた頃には空港を出て2時間以上が経っていた。

「どうしてこんな(交通の便が悪い)宿をとったの」「なんで予約する前に相談しなかったの」「ノビだから頼りにならないと思ったの」彼にたくさんの労力を使わせてしまった申し訳なさと、自分の考えの甘さと、無事に辿り着いた安堵と、保っていたストッパーがはずれてぐちゃぐちゃな顔のわたしは、「それ、やめてくれる」と言う彼の顔も直視できないほどであった。